こんにちは。
シンガーソングライターの福島亮介です。


今回の曲は、星野源さんの「恋」
ドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』の主題歌として、世間に広く知れ渡った1曲。MVやドラマにも出てくる「恋ダンス」は一度は踊ってみたことがあるという人もきっと多いですよね。

自然と体が動きそうになるかわいらいいダンスミュージックという印象がありますが、歌詞をじっくりと読んでみると、そのかわいらしさだけではすまない、もっと人間の幸せや人生などに及ぶ奥深さが伝わってきます。

「夫婦を超えてゆけ」という歌詞にはどんなメッセージが込められているのか、そしてその先には何が待っているのか。本当に「恋」をすべきその対象や、この曲のタイトルが「恋」である理由など。

様々なポイントをひとつずつ掘り下げながら、今回もしっかり歌詞を読み進めていきたいと思います。

 

 

 

楽曲情報


■星野源「恋」
9th Single
B面 Drinking Dance/Continues/雨音 (House ver.)
発売日 2016年10月5日
収録アルバム POP VIRUS
作詞 星野源
作曲 星野源
プロデュース 星野源
MV https://www.youtube.com/watch?v=jhOVibLEDhA





 

歌詞解釈




【Aメロ】「色めくもの」の正体






営みの
街が暮れたら色めき
風たちは運ぶわ
カラスと人々の群れ

意味なんか
ないさ暮らしがあるだけ
ただ腹を空かせて
君の元へ帰るんだ

出典:https://www.uta-net.com/song/216304/

>営みの
>街が暮れたら色めき
>風たちは運ぶわ
>カラスと人々の群れ
仕事や学校など、その日を終えてそれぞれが帰路につく風景を連想させる始まり。「風たち」は「風立ち」とも「風達」とも取れそうですが、ここからはカラスも人々もすべてのものが1日を終え、社会的な居場所から自分だけの個人的な居場所へと戻っていくという描写を感じ取ることができます。

「街が暮れたら」とは陽が落ちて人の姿がなくなったりお店が閉まったりと街の賑わいがなくなっていく様子。そんな街が暮れたときに「色めき」始めるもの。それはいったいなんでしょうか。続く歌詞を見ていきます。


>意味なんか
>ないさ暮らしがあるだけ
意味なんかなく暮らしがあるだけ。まずはここの歌詞について考えてみます。「意味なんかないさ」この言葉がかかっているのは、人間の毎日でありいわゆる日常です。客観的に見た「人間の日常」には意味などなく、その日常に何かしらの意味を与えることで初めてそれはその人の「暮らし」となるということ。

同じように見える「人間の日常」も、その人その人で別の見え方があり感じ方がある。一般的な「人間の日常」に目を向けるのではなく、その人だけに意味のある主観的な「暮らし」の大切さやそれは人の数だけ存在するという点に注目しよう。それがこの歌詞の伝えていることではないでしょうか。

>ただ腹を空かせて
>君の元へ帰るんだ
これが主人公の「人間の日常」に与えた意味であり「暮らし」となるわけですが、ここの歌詞に先ほど見た「色めき始めるもの」のヒントが隠れています。

「ただ腹を空かせて君の元へ帰る」という主人公にとっては当たり前に感じていること。それではなぜ主人公はそれを当たり前に感じることができるのか。それは、今の自分の暮らしや日常の価値をしっかり受け入れているからです。無理に理想を求めるでもなく、他の人と比較をするでもなく、自分の人生を絶対的なものとして見ているからです。


1日が終わりに近づき街が暮れたときに「色めき」始めるもの。その正体を考えると、自分の人生には意味がある、この世界には自分の居場所があるという安心感のようなものにたどり着くように思います。ある人は社会に貢献したという気持ちから、またある人はこの主人公のように帰る場所があることからその安心感が色めき始めるかもしれません。

そして重要なのはこの安心感は新しく「生まれる」ものではなく「色めき始める」ものだということ。つまり、その濃さは違えど常に人の心の中にあるということです。そして更には、その安心感を持つも持たないも自分の意志次第ということ。

しっかりそれが意識できれば、仕事終わりの達成感や満足感、待っている人がいる場所に帰る喜びなど人生の豊かさを生み出します。しかしこの安心感を心の中に閉じ込めてしまっていれば、きっと世界は敵ばかりの危険なところに見えて、他人を尊敬したり信じることもできないでしょう。

「人生に意味なんかない、暮らしがあるだけ」「ただ腹を空かせてただ君の元へ帰るんだ」、そう言い切れる主人公はきっとこの安心感の色めきを常に感じられているのだと思います。


【Bメロ】二人から生まれるもの






物心ついたらふと
見上げて想う事が
この世にいる誰も
二人から

出典:https://www.uta-net.com/song/216304/

>物心ついたらふと
>見上げて想う事が
>この世にいる誰も
>二人から
「物心がつく」時期とは、赤ちゃんから成長する過程で自分はどんな人間で世界とはどういう場所で、その世界にはどんな人が生きているのか。そしてその中で自分はどう生きていけばよいのか。そういったその人なりの信念や性格が芽生え始める時期と言えます。

その頃に主人公が感じたことは「この世にいる誰も二人から」ということ。これは誰もが男と女の二人から生まれるという意味にも取れるし、誰もが自分と目の前にる相手の二人からあらゆる体験をしていくという意味にも取れます。

一般的には物心がつくのは3~4歳とされているようですが、実際にその頃からそう思っていたかどうかは確かめようがないし、ここでは重要ではありません。重要なのは、今現在の主人公がそう感じているということです。

それではなぜ今になって、物心ついたときから「この世にいる誰も二人から」と感じていた自分を思い返したのか。これは歌詞を読み進めるにつれて明確になってくると思うので、ここではあまり触れずに次のサビを見ていきます。


【サビ】夫婦を超えた先にある関係






胸の中にあるもの
いつか見えなくなるもの
それは側にいること
いつも思い出して
君の中にあるもの
距離の中にある鼓動
恋をしたの貴方の
指の混ざり 頬の香り
夫婦を超えてゆけ

出典:https://www.uta-net.com/song/216304/

>胸の中にあるもの
>いつか見えなくなるもの
>それは側にいること
>いつも思い出して
「胸の中にあるもの」「いつか見えなくなるもの」について、主人公は「それは側にいること」であると端的に答えを出しています。「側にいること」が胸の中にあり、いつか見えなくなってしまうとはどういうことでしょうか。この「側にいること」が示すものを考えていきます。

まず先ほどA~Bメロで見た「安心感」がここでも重要になってきます。小さい頃に感じていた将来への希望、無限の可能性、家族の愛、自分の居場所、ありのままの世界を眺める力。こうした自分の人生を生きる上で安心感へとつながるたくさんの要素が、大人になるにつれて見えにくくなっていきます。

こうした人生の豊かさが見えなくなってしまうきっかけは、どんな人でも決まっています。それは自分の存在や価値を疑い見失ってしまうこと。


理想と比較したり他人と競争をすれば必然と劣等感が生まれます。その劣等感を有効に使うことができず自分を受け入れられなくなると、希望や可能性を見失い、家族や友人の愛情・善意を見落とし、世界が歪んで見えて自分の居場所がないように感じます。そして最初はあったはずの「胸の中にあるもの」=「側にいること」が少しずつ見えなくっていきます。

つまり「側にいること」とは、こういった人生を豊かにするための要素を再び蘇らせるために必要なものとして示されているのです。


続いて考えたいのは、"何の"側にいることなのかということ。家族なのか、恋人なのか、ここでは明記されていません。ただおそらくそれは家族でも恋人もなく、まずは自分が「自分自身」の側にいることでしょう。

子供の頃は自分や世界を疑うことなく受け入れ、だからこそ思うように喜怒哀楽を表現し弱さを隠すこともなく自分を偽らず生きていたはずです。つまり自分が「自分自身」の側にいたはずです。

それが大人になるにつれて、孤独・競争・劣等感・嫉妬・比較・後悔・承認欲求・衝突・不安・懐疑、そういった自分を見失うためのたくさんの隔たりを作り「自分自身」をどんどん遠くに置いてしまう。その結果、人生を豊かにするために必要な安心感もどんどん見えなくなってしまう。

そんな不幸に陥らないために、ここの歌詞では「自分自身の側にいることを忘れないで」、「自分の存在や価値に迷ったり疑ったりしないで」とメッセージを送っているのです。


>君の中にあるもの
>距離の中にある鼓動
「君の中にあるもの」=「胸の中にあるもの」と考えると、それは先ほども見た「側にいること」となります。そして続く「距離の中にある鼓動」という歌詞。ここでいう距離とは、この曲を一般的なラブソングとして見れば自分と恋をしている相手との距離と考えるのが妥当です。

ただ「側にいること」の対象が先ほど見たように自分自身であると考えると、この距離とは「現在の自分と理想の自分との距離」とも考えることができます。そしてその理想に追いつこうとする成長や達成感、その過程で生まれる劣等感や焦燥感、そういった起伏が「距離の中にある鼓動」という言葉で表現されています。

>恋をしたの貴方の
>指の混ざり 頬の香り
>夫婦を超えてゆけ
この曲は、対象や範囲の広いスケールの大きなラブソングです。ラブソングらしい「指の混ざり」「頬の香り」といったロマンチックな表現があり、指が交わる描写や頬の香りがわかるほどの距離感というリアルな想像も駆り立てられます。

そして「夫婦を超えていゆけ」というこの曲のキーワードともなる大切な歌詞。これ以上ない絆を感じせる夫婦という関係を超える、ここからもまた愛の可能性やその神秘的な印象が伝わってきます。ですが、ここで本当に感じ取りたいのはこの歌詞に書かれている表面的なものだけではありません。


ここで先ほどのBメロを振り返りたいのですが、主人公は物心ついたときから「この世にいる誰も二人から」であると感じていました。最初は父と母の「二人」の間から生まれ、そして家族や兄弟姉妹、恋人や友人、先輩後輩、上司や部下など、そういった常に自分と目の前にいる「二人」の間から自分を知り社会を知っていく。

そして夫婦という「二人」となり本当の愛を知る。人間は多くの人に囲まれながらも、実際は目の前にいるいろいろな「二人」の関係を経て、成長をしていきます。

「貴方の指の混ざり ほほの香り」というロマンチックな歌詞は、その過程で二人の間に生まれる喜びであったり美しい体験の比喩。そして「夫婦を超えてゆけ」という歌詞は、あらゆる二人の関係を超えて分割できないまるで二人で一人のような関係を目指せということの表現。そしてそれこそが人間の幸せであるというメッセージ。


これがこのサビの本質であり、本当に感じ取るべきものなのではないかと思います。そしてそんな究極の関係を目指すために必要な最初の一歩が、先ほども見たまずは自分が「自分自身」の側にいるということ。人生を豊かにするための安心感や所属感を常に持っていること。

このサビで歌われている「人間の幸せ」は、根底に流れる本能的かつ衝動的な欲求です。自分でコントロールできるものではなく誰もがそこへ向かおうとします。そしてタイトルにもなっている「恋」、ここからもその同じ性質を感じることができますよね。

こう考えると、この曲の歌詞と「恋」というタイトルが深く結びついているように思えます。


【Aメロ2】人間の弱さと思い込み






みにくいと
秘めた想いは色づき
白鳥は運ぶわ
当たり前を変えながら

出典:https://www.uta-net.com/song/216304/

>みにくいと
>秘めた想いは色づき
>白鳥は運ぶわ
>当たり前を変えながら
この歌詞をみて、「みにくいアヒルの子」という童話が思い浮かびました。アヒルの子として生まれ、他の子どもと容姿が違うことからみにくいといじめられ育ったヒナ。でも実はそのヒナはアヒルではなく白鳥の子どもで、逆境を乗り越え最後は白鳥の群れと幸せに暮らす。そんなストーリーです。

この童話には、本曲を考えるにあたって必要な2つのメッセージが込められているように思います。ひとつは「人間の浅はかで未熟な部分」。そしてもうひとつは「人間の思い込みの力」です。ひとつずつ見ていきます。


  • 人間の浅はかで未熟な部分

自分の正義や信念の外にあるものを認めず、容姿・性別・年齢・文化・国籍・価値観、それぞれの違いに勝手な基準で優劣をつけてしまう。これがこの童話から伝わる人間の浅はかで未熟な部分です。

古くからの身分制度の影響や賞罰教育も手伝って、どこかそれで良いという風潮の中で大人になっていくという理由も確かにあるかもしれません。では人間はどうしてそれぞれの違いを個性と認めることができず優劣をつけたがるのでしょうか、優劣をつけることで何をしたいのでしょうか。

これもまた、この世界で自分が生きるための「安心感」や「所属感」を得るためです。「あの人は自分より優れている」と思えば、認めてもらうおうとすることでそれらを求めるかもしれません。また「あの人は自分より劣っている」と感じれば、優越感に浸ることでそれらを得るかもしれません。

でもそれぞれの違いを個性と認めてしまうとどうでしょうか。個性として認めるということは、「ありのままの姿を認め受け入れる」ということ。すると自分の価値を決める参考材料に他人との優劣・比較は使えなくなります。つまり、自分の価値の基準を自分自身で決めていかないといけません。


これは難しく勇気のいることなので、それを避けるために優劣をつけて自分の中からではなく外からの要因によってこの世界での「安心感」や「所属感」を得ようとします。

確かに優劣をつけてしまえば「安心感」や「所属感」を得る方法は簡単に見つかるかもしれません。でもたとえば「自分より優れている人」から思うように認めてもらえなかったら。「自分より劣っている人」から予想もしていない反抗をされたら。「安心感」や「所属感」を得るどころか、きっと憤りを覚えると思います。

自分の勝手な基準で優劣をつけ、それに沿わない結果になった場合は憤慨し相手を責める。自由もなく不健全で非建設的。でもそれが今「当たり前」のものとして人間に備わり日常の人間関係に使われています。

「みにくいと秘めた想い」という歌詞には、こういった人間の浅はかで未熟な部分が示唆されているのではないでしょうか。そして「白鳥は運ぶわ 当たり前を変えながら」と歌詞は続きます。ここからはみにくいアヒルの子から伝わるもうひとつのメッセージ、「人間の思い込みの力」を見ていきます。


  • 人間の思い込みの力

アヒルの子として育った白鳥のヒナは、家族のいじめに耐えきれずその場から逃げ出します。どこに行っても嫌われ孤独な日々を過ごしていたそんなある日、美しい白鳥を見て「自分もああなりたい」と思うようになります。そして最後は自分が白鳥だと知り、その群れで幸せに暮らすというハッピーエンドを迎えます。

まずここで注目したいのは、どうしてそんな絶望と孤独の中でも生き続けることができたのかということ。それはどんな人の中にも「今の自分より良くありたい」という普遍的な欲求があるからです。

このヒナは、いじめられたからその場から逃げ出したわけではありません。周りから嫌われたから孤独を感じたわけでもないし、白鳥の群れをただ羨望のまなざしで見ていたわけでもありません。すべては今の自分をより良い方向へ導くための準備であり決断であり行動だったのです。

「思い込みは実現する」と言われますが、これには根拠があります。人間は誰でもこれまでに築いてきた性格や世界観をもって、ひとつの出来事を自分の都合のいいように解釈し好きなように認識します。危険なところには近づかないし、嫌いな人には話しかけないし、興味のない分野を勉強しようとも思いません。

その「危険」「嫌い」「興味のない」は、すべてこれまで自分が見てきたものや感じてきたものから自分で決めているものです。


そしてそれは「安全」「好き」「興味がある」にも同じことが言えます。安全と思う場所、好きな人、興味がある分野。これらに積極的に自分の人生を捧げた結果、そこは当然それらばかりがある世界になります。これはすべて「今の自分より良くありたい」という欲求に沿って、その人特有の思い込みが実現させていくものです。

別の視点で考えると、たとえば「誰も自分のことなんて好きにならない」と思い込んでいる人がいるとします。その人は、誰かに見られていたら「あの人は私のことが嫌いだから蔑んだ目で見ているんだ」と思うだろうし、誰かに目をそらされても「あの人は私のことが嫌いだから目をそらしたんだ」と思うでしょう。

そんな考えの人を好きになろうとする人はいないですよね。つまりどちらの結果にしろ、その思い込みから「誰も自分のことなんて好きにならない」という信念は保たれ実現されます。

客観的に見れば、誰からも好かれないなんて「良くあること」とは程遠いように思えます。ただ、自分の自信のなさを言い訳に煩わしい人間関係を避ける、自信を持てれば自分だって人から好きになってもらえるという可能性を残す。一般的には不幸に思えたとしても、これがその人の「今の自分より良くあること」なのです。

どんな思考や行動にもその根底には「今の自分より良くありたい」という欲求があり、それをどんな形であれ思い込みの力によって満たし続けるからこそ、人間は生きていくことができます。この白鳥のヒナのように。


これらを踏まえて「白鳥は運ぶわ 当たり前を変えながら」という歌詞に戻ります。白鳥が変える「当たり前」とは、つまりこの「思い込みの力」で作られた世界のこと。

それはアヒルから生まれた子が必ずしもアヒルの子ではないように、アヒルと白鳥の中の当たり前がそれぞれ違うように、つまり自分の価値観や正義が絶対ではないということを伝えているのです。

少し長くなったのでこのAメロを簡単にまとめます。
>みにくいと
>秘めた想いは色づき
>白鳥は運ぶわ
>当たり前を変えながら
「みにくいと秘めた想い」とは人間の浅はかで未熟な部分であり、誰もがそれを当たり前としてその中で生きている。そしてその愚かさにより自分を卑下したり他人を信じられなくなる。ただその当たり前は勝手な思い込みにより実現されている世界であり、それをやめさえすればもっと別の見方でシンプルに世界を見ることができる。 


【Bメロ2】愛の本質を見る主人公






恋せずにいられないな
似た顔も虚構にも
愛が生まれるのは
一人から

出典:https://www.uta-net.com/song/216304/

>恋せずにいられないな
>似た顔も虚構にも
>愛が生まれるのは
>一人から
主人公が恋せずにいられないという「似た顔」や「虚構」。これは次のように考えられます。

  • 似た顔
    →同じような髪形やファッション、時代の流行や風潮のこと
    虚構
    →漫画やドラマの主人公など、実在しない人物や妄想の世界のこと


「似た顔」からは没個性の影を感じながら、「虚構」からは現実を直視できない弱さを感じながら、それでもそれぞれに恋をせずにはいられない。そこに戸惑いを感じながらも、主人公は最後に「愛が生まれるのは一人から」と結論づけています。この結論に至るまでの過程に少し注目してみます。

「恋せずにいられない」という表現から、おそらく主人公は「恋をしないように意識してても、つい恋をしてしまう」という状態でしょう。「似た顔」や「虚構」を恋の対象とすることに抵抗を持っている状態とも言えます。

「似た顔」と「虚構」の共通点、それは目の前にいる"あなた"ではなく抽象的であり妄想的な"誰か"であるということ。主人公が抵抗や惑いを感じているのはこの部分ではないかと思います。

本当に恋をすべきなのは、ある条件に適った"誰か"ではなく無条件に自分が恋をしようと決断した"あなた"であるべき。この信念を持つ自分と、「似た顔」や「虚構」に恋をすることで現実から逃げている自分。そのギャップが抵抗や戸惑いの理由だと思います。


そんな抵抗や戸惑いから考えをあらため出した結論が「愛が生まれるのは一人から」なのです。どんなに抽象的で妄想的な相手に恋をしてもそれは愛にはつながらない。目の前の"あなた"一人に恋をして、長い人生をかけて一緒に築き上げていく。それが本当の愛の姿である。それが主人公の出した答えなのです。

"愛"と聞くと自分ではコントロールのできないものであったり、自分の意志の届かないところで動く神秘的なものというイメージが先行してしまいます。

ただこの主人公が出した愛の答えは、そういった自分ではどうすることもできない「運命」や「奇跡」や「神」といった観念的な類のものではなく、目の前の"あなた"と0からつくり上げていくどこまでも現実的なもの。自分の意志で、自分の決断で、自分の行動で築き上げていく実践的なものです。

「似た顔」や「虚構」に恋せずにはいられないという現実逃避から、現実を直視し愛の本質と向き合うに至るまで。このBメロはそんな主人公の心境の変化を表す大切な場面になっています。 


【サビ2】夫婦を超えるために必要なもの






胸の中にあるもの
いつか見えなくなるもの
それは側にいること
いつも思い出して
君の中にあるもの
距離の中にある鼓動
恋をしたの貴方の
指の混ざり 頬の香り
夫婦を超えてゆけ

出典:https://www.uta-net.com/song/216304/

Aメロ2で見た人間の浅はかな部分の克服、思い込みによってつくられる当たり前を変えていく勇気。そしてBメロ2で見た目の前の"あなた"を愛することの大切さ。これらは、このサビに出てくる「夫婦を超えてゆけ」を達成するためにすべて必要なものです。

またこの曲のサビは3回登場しますが、3回とも歌詞の内容は同じです(3番のみ追記あり)。ですが、他A~Cメロで歌われている歌詞はすべてこのサビの理解を深めるためのもの、そう思って聴くと同じ歌詞でも表情が変わりそれぞれのサビがより生きてくるように思います。

詳しくは【サビ1】で解説をしているので割愛して、次の歌詞を見てみます。
 

【Cメロ】意識的な目的と無意識的な目的






泣き顔も 黙る夜も
揺れる笑顔も
いつまでも いつまでも

出典:https://www.uta-net.com/song/216304/

>泣き顔も 黙る夜も
>揺れる笑顔も
>いつまでも いつまでも
泣き顔、黙る夜、揺れる笑顔。何となく直感的にその風景が浮かびますよね。けんかの後や、気まずい沈黙の時間。頭の中で回想される大好きな笑顔というように。

それらを「いつまでも いつまでも」と願う主人公ですが、いつまでも・・・の後には何が含まれているのか。素直に考えれば、そういった二人だけの世界が「いつまでも"続きますように"」というところかと思います。

ここから少し主人公の気持ちを深読みしていきます。まず、泣き顔や黙る夜、揺れる笑顔など、この二人の世界がいつまでも続くよう願う主人公がそう思うに至った何かしらのきっかけがあったはずです。

それは二人で写っている写真をふと見たときかもしれないし、かわいいメールやLINEのやりとりを見返したときかもしれません。または相手の口癖が自分に移っていることに気付いたときかもしれないし、最期まで添い遂げる夢を見たときかもしれません。


いろいろ考えられますが、何かしらのきっかけがあってそれによって「二人の世界がいつまでも続くように」と願った。主人公は意識的にはそう感じていると思います。ですが、少し視点を変えるとまた別の心理が見えてきます。

主人公は「二人の世界が続くよう願うこと」ができれば、そのきっかけは何でもよかったのです。二人の写真も、メールやLINEも、口癖も夢も、この「二人の世界が続くよう願うこと」をするために持ち出された口実のようなものなのです。

なぜなら、主人公の本当の目的は「夫婦を超えていくこと」だからです。二人の世界がずっと続くよう願い続けることができれば、その先に夫婦を超えた二人の関係や未来が待っている。この無意識的な目的が、二人の写真を手に取らせ、かわいいメールやLINEを目に留まらせ、同じ口癖を口にした瞬間を意識させ、最期まで添い遂げる夢を見させ、そのきっかけとなる行動を起こさせたのでしょう。

たった3行の短い歌詞ですが、この歌詞もやはりサビに還元され、これからの未来に続く何千もの言葉と感情が込められているように感じます。


【サビ3】「恋」が生み出す幸せな人生






胸の中にあるもの
いつか見えなくなるもの
それは側にいること
いつも思い出して
君の中にあるもの
距離の中にある鼓動
恋をしたの貴方の
指の混ざり 頬の香り
夫婦を超えてゆけ
二人を超えてゆけ
一人を超えてゆけ

出典:https://www.uta-net.com/song/216304/

最後のサビも1・2番と同様の歌詞。そして最後に「二人を超えてゆけ」「一人を超えてゆけ」という歌詞が加わっています。夫婦を超えるためには二人を超える必要があり、二人を超えるためにはまず一人を超えなくてはならない。そんな目指す目標の順番がここで表されているのかもしれません。

まずは「一人」。自分がしっかり「自分自身」の側にいて、自分を受け入れ認める。自分にできることできないことをしっかり見極める。人はそれぞれ特有の思い込みの世界を生きていて、だからこそ誰にでも世界の中に自分の居場所があるということをしっかり理解する。

続いて目の前の相手との「二人」。前回のサビで見たように数多くの「二人」の関係を経て、自分を知り社会を知る。目の前の相手と競争や比較のために繋がるのではなく、そこから安心感や所属感を得ようとするのでもなく、尊敬・信頼のもと人と人との間でのみ生まれる幸せを実感する。

そして、「二人」の関係の延長で強い絆で結ばれる「夫婦」という関係。この曲では「夫婦」と表現されていますが、これは「二人」より上位にある、より強く深い関係を意味しているもの。そして更にその関係をも超えた先を目指します。


そこにあるのは、「わたし」でも「あなた」でもなくその境界線のないひとつの存在。自分のために行うことは自然と誰かのためになることで、誰かの行動によって当たり前に自分の幸せが生まれるような世界。夢のような話ですが、そんな理想郷を想像させられます。

その理想郷はどんなに綿密な計画を立てても、どんなに強く思い描いてもたどり着ける場所ではありません。なぜなら、そこは誰もが「気付いたら」足を踏み入れている場所だからです。

胸の中にあるもの、いつか見えなくなるもの。日々それらと真剣に向き合い、「一人」を超え「二人」を超え、「夫婦」をも超えてその努力や成長の途中でふと振り返ったときに出来上がっている世界だからです。

そんな世界に人間はいつまでも「恋」をし続け、そしてその「恋」をし続ける毎日こそが、人が幸せと呼ぶべき人生なのかもしれないですね。 

 

最後に





ここまでじっくり歌詞を見てきて、この曲は対象や範囲がとても広いスケールの大きなラブソングであり、自分を愛し目の前の"あなた"を愛し、二人を愛し世界を愛するための歌であると感じました。

サビで繰り返される「それは側にいること いつも思い出して」、そして「夫婦を超えてゆけ」という歌詞。これはたとえるならコンパスと地図のようなものだと思うのです。

「夫婦を超えてゆけ」という地図を片手にそのゴールまで道のない道を自力で切り拓いていきますが、自分の向かっている方角がわからなくなるときが必ずやってきます。そのときに「それは側にいること いつも思い出して」というコンパスが自分が向かうべき方角をしっかり指し示してくれる。そしてまた「夫婦を超えてゆけ」という地図を広げて正しい方向へと歩き出す。

それが人生であり、そして人間は自分の人生にいつまでも「恋」をし続けるしかありません。傷つくことがあったり、投げ出したくなるときがあったり、いっそ誰かと交換してしまいたいと思ったり。それでもなお「恋」をしないという選択肢はありえません。「今の自分より良くありたい」という普遍的な欲求がある限り。


どんなときでも自分は"わたし"の人生に「恋」をし続けるしかないとわかれば、コンパスと地図はいつだって手元にあるということにも気付けるし、道を切り拓いていくのも向かうべき方向を見定めるのもいつだって自分の意思次第であるということもわかります。

「意味なんかないさ 暮らしがあるだけ」。この歌詞からは一般的な人間の日常に意味を探すのではなく自分だけに意味のある主観的な日常(暮らし)に注目すべきというメッセージを感じられました。

これはそのまま「幸せ」にも置き換えられます。一般的に言われる「幸せ」の正体ばかりを探すのではなく、自分が「幸せ」になるためにはどうすればよいかを考える。そのために必要な第一歩が、自分の人生、自分がいる世界、そして自分自身にしっかりと「恋」をすることなのかもしれません。

この主人公のように自分の人生にしっかり「恋」をして、そこに幸せを見出せることを願っています。

最後までお読みいただき、ありがとうございました!

 

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