こんにちは。
シンガーソングライターの福島亮介です。


今回の曲はスキマスイッチの「奏(かなで)」。
大ヒットとなったスキマスイッチの代表曲。この曲により紅白への出場もあり、映画・CMなどでも多く起用されています。Wikipediaによると、タイトルの「奏」は大橋さんが自分の子供が生まれたら付けようと決めている名前とのこと。

歌詞的には離れ離れになる恋人の情景を描いた、儚さ・切なさの要素が強いラブストーリーであり、別々の人生を歩むことで葛藤し成長する主人公というヒューマンドラマも見られる1曲です。更に主人公になりきり共感することで気付けるメッセージは、恋愛や別れというひとつの面に収まらずもっと誰にでも当てはまりどんな人でも考えるべき日常の幸せに向けられているものです。

今回も主人公の気持ちを理解しながらじっくりと歌詞を深掘りしていきます。そしてその中で読み取れるこの曲が本当に伝えているメッセージを、しっかりと見ていきたいと思います。

 

 

 

楽曲情報


■スキマスイッチ「奏(かなで)」
2nd Single
B面 僕の話 -プロトタイプ-/蕾のテーマ
発売日 2004年3月10日
収録アルバム 夏雲ノイズ
作詞 スキマスイッチ
作曲 スキマスイッチ
編曲 スキマスイッチ
MV https://www.youtube.com/watch?v=J5Z7tIq7bco




 

歌詞解釈




【Aメロ】「明るく見送れない」その理由






改札の前つなぐ手と手
いつものざわめき新しい風
明るく見送るはずだったのに
うまく笑えずに君を見ていた

出典:http://j-lyric.net/artist/a001fed/l0074e4.html

別れの直前にいるふたりの姿を想像する始まり。この曲は離れて別々の人生を歩むふたりに対する主人公の想い、『君』へのエールや自分の気持ちの整理に覚悟、そしてひとりになることで得る新たな気付きなどがテーマになっています。

見方によっては別れた後の未練を感じさせる曲とも取れますが、登場する希望的なフレーズや主人公の前向きで未来に向かう姿勢などから、あくまで未来に向かう建設的な曲だと感じます。それを踏まえて歌詞を見ていきたいと思います。

>改札の前つなぐ手と手
>いつものざわめき新しい風
ここで強調される「つなぐ手と手」。これは普段デートなどで何気なくつないできた手と手という日常的なものから、特別で非日常なものへとその意味が変わっていることを伝える描写。

今つながれているその手と手は、二度と会えないという悲しみや恐れなどを含んだ今までにない特別なものとして描かれています。これまで恋人の証としてつないできた手と手が、今ではまるで『君』を離さないために握っているかのようにも映ります。


「いつものざわめき=君と過ごした日常や風景」「新しい風=これから一人で暮らしていく未来」、主人公はこれらの入り混じった複雑な気持ちを抱え『君』と改札の前にいます。この後必ず離れてしまう特別な「つないだ手と手」、今同時に存在している『君』がいる現実といなくなる現実。これらが、次に続く歌詞の理由になっています。

>明るく見送るはずだったのに
>うまく笑えずに君を見ていた
明るく見送るため、うまく笑うためには自分が心から「今」を受け入れ納得している必要があります。ただ先ほどの描写から伝わるように、このときの主人公は未来へ向かうための「今」ではなく過去に縛られた「今」を過ごしています。

心は新しい変化よりも今までと変わらない毎日を望んでいるのに、この後待ち受けているのは『君』との別れという残酷な現実。自分でも予期していなかったこの戸惑いが、明るく見送れずうまく笑うこともできないという理由になっているのでしょう。


【サビ】『「さよなら」に代わる言葉』に隠れた心理






君が大人になってくその季節が
悲しい歌で溢れないように
最後に何か君に伝えたくて
「さよなら」に代わる言葉を僕は探してた

出典:http://j-lyric.net/artist/a001fed/l0074e4.html

>君が大人になってくその季節が
>悲しい歌で溢れないように
>最後に何か君に伝えたくて
>「さよなら」に代わる言葉を僕は探してた
「君が大人になってくその季節」という歌詞からも、相当長い期間の別れ、または今生の別れをも想像させます。そんな別れの最中にいる主人公の心の中にあるのは、離れて過ごす『君』の毎日が「悲しい歌で溢れないように」という願い。

これが最後の会話になるかもしれないと噛みしめながらも、「さよなら」という別れの言葉を口にできずにいる主人公。これからの『君』の人生が「悲しい歌で溢れないように」、代わりとなるようなもっと勇気付けられる前向きな言葉を必死に探そうとしていたのかもしれません。そんな心境の中、切なさを際立たせているのが"代わり"という表現。

どんなに勇気付ける言葉でも、どんなに安心させる言葉でも、主人公はやはりそれは「さよなら」の代わりであってその言葉には別れの意味が込められていると感じています。ここから、主人公のさらに深くにある心理が見えてきます。


「さよなら」に代わる言葉を最後に伝えたい、でもどんな言葉を選んでもそれは「さよなら」の代わりでしかない。そう感じる主人公の本心は『「さよなら」に代わる何かを伝えたい』のではありません。『「さよなら」を伝えたくない』のです。

「さよなら」に代わる言葉を探す時間とは、つまり別れに直面している現実と向き合えないでいた時間です。その苦しく耐えがたい時間を『「さよなら」に代わる言葉を探す時間』と題することで、少しでも直面する別れから目を背けようとしていたのかもしれません。

「悲しい歌で溢れないように」という『君』の未来を願う気持ちは、間違いなく本心であり偽りのないものでしょう。ただその奥にあるこの心理から、主人公はまだ『君』と離れ離れになる現実を受け入れられていないことがわかります。


【Aメロ2】依存の愛から自立の愛へ






君の手を引くその役目が
僕の使命だなんてそう思ってた
だけど今わかったんだ僕らならもう
重ねた日々がほら、導いてくれる

出典:http://j-lyric.net/artist/a001fed/l0074e4.html

>君の手を引くその役目が
>僕の使命だなんてそう思ってた
ここの歌詞だけを見ると、もうその使命は果たせない、その使命を果たす役目は自分ではなかったという哀しさや嘆きのような印象を受けます。恋愛、仕事、家庭や趣味。人生の中に居場所を見つけ、その居場所への依存度が高いほど、それらを失ったときに人は自分の価値を疑いを簡単に存在意義を見失ってしまいます。

どんな状況でも人ひとりには大きな価値があり、その価値は他人からの承認や称賛によって与えられるものではなく、自分で自分を受け入れ、認め、自覚すべきものです。この前者が依存であり、後者を自立と呼びます。

ところが、たとえば会社を退職して肩書きをなくす、転校して友達と離れ離れになる、子供が独立しひとりの女性としての時間が増えるなど。まるで自分の人生が会社や学校、子供などのためだけにあると考える人は、いざそれと離れたときに「自分が何者でもない」という価値や所属感の消失、猛烈な孤独を招いてしまうことになります。


主人公の話に戻すと、『君』の手を引き幸せへと導くという重大な使命を感じていた主人公も、自分の人生は『君』と過ごす毎日やふたりの世界のためにあると感じていたでしょう。そんな『君』と離れ離れになる直前にいる今、主人公の心は乱れてしまっても不思議ではありません。ただここで主人公は、『君』への依存を断ち切り、自立して『君』を愛し続けるという勇気ある選択へと向かっていきます。

ここからの展開がこの曲の見どころであり、この曲が伝えているメッセージの本質がわかってくる場面です。

>だけど今わかったんだ僕らならもう
>重ねた日々がほら、導いてくれる
落ち込む表情の主人公に対して、『君』が笑いかけたのかもしれません。ふたりにしかわからない特別な言葉をかけたのかもしれません。理由はわからないですが、何かのきっかけで「今」このときに主人公の中でひとつの答えが生まれます。

それは「重ねた日々が導いてくれる」という、離れていてもお互いを幸せへ導き合えるという確信。今までふたりで過ごしてきた過去、別れの最中にいる今、これからそれぞれ生きていく未来。これはそのすべてを同時に信じ受け入れ、認めることができたからこそ出せる答えです。そしてこれは同時に、主人公が今の自分自身を受け入れ認められたことの証でもあります。


「僕らなら"もう"」という表現には、ふたりで過ごしてきた時間がお互いを幸せに導き合うために十分なものであるという過去への自信が見られます。そして「重ねた日々が"ほら"」という表現からはまるで主人公が出した答えを保証するような未来への自信が見られます。

この歌詞から伝わるのは、主人公がこれまでのふたりとこれからのふたりを受け入れた瞬間、依存を断ち切り自立した中で『君』を愛し続けていく覚悟を決めた瞬間です。そしてこれこそが「さよなら」に代わる言葉であり『君』に最後に伝えたい言葉となったのです。


【サビ2】大きく変わる主人公の「今」






君が大人になってくその時間が
降り積もる間に僕も変わってく
たとえばそこにこんな歌があれば
ふたりはいつもどんな時もつながっていける

出典:http://j-lyric.net/artist/a001fed/l0074e4.html

>君が大人になってくその時間が
>降り積もる間に僕も変わってく
2番Aメロの前向きな決意や未来への確信にこのサビで更に拍車がかかります。1番サビで歌われていたのは、『君』の未来が「悲しい歌で溢れないように」という願い。『君』の幸せな未来への願いです。

そして今回のサビでは、「降り積もる間に僕も変わってく」と『君』の未来から自分の未来へとその視点は変わります。これもまた主人公がこれまでのふたりとこれからのふたりを受け入れられたこと、依存を断ち切り自立した中で『君』を愛し続けていく覚悟を決めたことの証明になります。

なぜなら、『君』だけではなく自分だけでもなく、それぞれがお互いの人生を全うしそこに生まれる幸せを願えなければ、自立した愛を信じることはできないからです。その自立した愛を信じる勇気を持てたからこそ、主人公はこれから進んでいく自分の未来へと視点切り替え向き合うことができたのです。


>たとえばそこにこんな歌があれば
>ふたりはいつもどんな時もつながっていける
ここでいう「そこ」とはこれから別々に歩んでいくお互いの人生。生きていく間に起こる苦悩や挫折、不安や落胆なども含むひとりで過ごしていく日常のこと。そして「こんな歌」、これが比喩するものはまさに2番Aメロで歌われている「僕らならもう重ねた日々がほら、導いてくれる」という答えです。

これから別々に過ごす人生で直面する多くの課題。勇気を絶たれくじけそうになったときにその支えとなり活力剤となるのが、「離れていてもお互いを幸せへと導いている」という答えであり、それが「こんな歌」と比喩されています。そしてそれがあれば、離れていてもお互いを感じ合い、どんな時でもつながっていけると主人公は信じているのです。

実際この先どうなるかはわかりません。お互いを忘れ別の人と幸せを追いかけるかもしれないし、もしかしたら近い内にまた生活を共にして「こんな歌」を必要としなくなるかもしれません。でもここで重要なのはその客観的な事実よりも、主人公が「今」そう感じられているという主観です。それはつまり主人公が過ごす「今」の意味が大きく変わっているということです。

1番Aメロ~サビのように過去に縛られた「今」を生きているのではなく、自分には「こんな歌」がありどんな時もつながっていけるという希望もあり、間違いなく主人公は未来へ向かうための「今」を生きています。この強く健全な心さえあれば、この先道に迷ったりまた過去の住人になってしまうこともないでしょう。


【Cメロ】主人公が『君』に伝えたかったこと






突然ふいに鳴り響くベルの音
焦る僕解ける手離れてく君
夢中で呼び止めて抱きしめたんだ
君がどこに行ったって僕の声で守るよ

出典:http://j-lyric.net/artist/a001fed/l0074e4.html

そして続くCメロ。リアルな情景描写と盛り上がる曲調で、グッと心をつかまれる場面です。ここで主人公はこれまで心の中で自問自答していたこと、そこから出した答えを『君』にストレートに伝えます。

>突然ふいに鳴り響くベルの音
>焦る僕解ける手離れてく君
まるでスローモーションで流れる映画のワンシーンのように、その情景が目に浮かびますよね。「さよなら」に代わる言葉を探し、依存の愛から自立の愛を選び、そしてお互いを幸せへと導き合う「こんな歌」というひとつの答えを出した主人公。そんな心の中を巡り巡っていた想いが溢れ出るきっかけとなったのが、「突然ふいに鳴り響くベルの音」です。

その驚きにより我に返った主人公の視界に入ったのは、自分の手から離れていく『君』。「焦る僕」とありますが、この数秒の間に主人公の頭に流れては消えただろう千の想いや言葉はもはや想像がつきません。そんな中主人公はほとんど無意識に、反射的に次の行動に出ます。


>夢中で呼び止めて抱きしめたんだ
>君がどこに行ったって僕の声で守るよ
このとき主人公が『君』を呼び止めて抱きしめたのは、別れを拒むためではありません。悲しみを伝えるためでもありません。すべてはこれから別々の道を歩むのふたりのために、主人公が出したその答えを『君』に伝えるためです。

「重ねた日々がほら 導いてくれる」「ふたりはどんな時もつながっていける」。今の気持ちを『君』に伝えたい、伝えるだけではなくこの先の人生の支えとなってほしい。そこで主人公は、それを聴けばそのときの温度やその景色すらリアルに蘇る「声」という言葉を選んだのでしょう。そして『君』を抱きしめながら真っすぐに伝えます。「君がどこに行ったって僕の声で守るよ」。


【サビ3~サビ4】タイトル「奏(かなで)」の意味






君が僕の前に現れた日から
何もかもが違くみえたんだ
朝も光も涙も、歌う声も
君が輝きをくれたんだ

抑えきれない思いをこの声に乗せて
遠く君の街へ届けよう
たとえばそれがこんな歌だったら
ぼくらは何処にいたとしてもつながっていける

出典:http://j-lyric.net/artist/a001fed/l0074e4.html

ここのサビからは、まず『君』と離れひとりになることで生まれた主人公の新しい世界観が歌われています。続いて、今までよりひとつ上の次元で『君』を想い続けること、ふたりの世界が続いていくことを信じて前へ進もうとする主人公を見ることができます。

>君が僕の前に現れた日から
>何もかもが違くみえたんだ
>朝も光も涙も、歌う声も
>君が輝きをくれたんだ
朝・光・涙・歌う声。どれをとっても客観的に見ればそれらは変わりようのないものばかり。朝は朝であり、光は光です。ただ『君』の登場によって何もかもが違く見えるようになる。どうしてこのようのなことが起こるのでしょうか。それは主人公の「今」必要としているものが変わり、すべてはそれに沿って主観的な解釈や意味付けの仕方も変わっていくからです。重要な部分なので掘り下げていきます。

たとえば"朝"について考えてみます。まず『君』が現れる前の主人公が、毎日を「平凡でただ繰り返されるだけ日常」と見ていたとします。これがそのとき主人公が「今」必要としているものです。それではそんな毎日を過ごすためには、"朝"をどう解釈する必要があるでしょうか。


それは気だるい朝であり、不快な朝であり、昨日から続く鮮度のない朝でなければいけません。これらは毎日を「平凡でただの繰り返す日常」とするために主人公が主観的に解釈していた"朝"。つまりこのとき"朝"をどう見ていたかという主人公の世界観です。

それでは、『君』が現れた後はそれがどう変わるのか。「君の手を引くその役目が僕の使命」、そう思えるほど愛することができた相手です。いつも会いたい、声を聞きたい、触れていたい、自分の人生で許されるだけの時間を共に過ごしていたい。そう感じていたでしょう。

ここでまず主人公の「今」必要としているものが変わります。今必要としている"毎日"は「ただ繰り返される日常」から、「『君』と共に生きるかけがえのない時間」へと変わるのです。そんな素敵な時間を告げる"朝"が、気だるく不快で鮮度のない朝であるはずがありません。そうなれば、当然その始まりを告げる"朝"もかけがえのないものへとその解釈が変わってきます。


「何もかもが違くみえたんだ」という歌詞は、『君』が現れたことによって「すべての物事に大切で必要なものという意味を与えることができた」と言い換えることができます。そして世界が美しく価値のあるものに変わったことから、「君が輝きをくれた」という歌詞も「君が"幸せ"をくれた」と言い換えることができるでしょう。

主人公の「今」必要としているものの変化による、すべての物事への解釈や意味付けの更新。これが「何もかも違く見えたんだ」の理由でありその正体です。そしてその新しく更新された世界観によって、次の大サビで遠く離れた『君』を想い続けること、これからもふたりのつながりを信じ続けていくことを誓います。

>抑えきれない思いをこの声に乗せて
>遠く君の街へ届けよう
>たとえばそれがこんな歌だったら
>ぼくらは何処にいたとしてもつながっていける
抑えきれない思い、それは愛情であり感謝であり尊敬であり『君』の幸せを願う純粋な気持ち。ただこれらはすべて、『君』と近い距離で過ごしていたときにもあったものでしょう。しかしここで届けようと決意されているこれらの思いは、『君』と離れ離れになることでしか気付けなかったもの。言葉や表情や触れ合いなどの行為で伝えるものではなく、もうひとつ上の次元の、同じ時間を生きているその存在へと届け続ける思いです。


1番での「僕らならもう重ねた日々がほら、導いてくれる」「ふたりはいつもどんな時もつながっていける」という主人公が出してきた答え。Cメロの「君がどこに行ったって僕の声で守るよ」という誓い。そしてここで歌われている遠くの『君』へ届けようとする抑えきれない思い。主人公には今、たくさんの"こんな歌"があります。

ここであらためて注目したいのが「奏(かなで)」というタイトル。主人公がたくさんの"こんな歌"を遠くの『君』へと奏で続ける、そしてその声やメッセージによって永遠にふたりはつながり続けていく。このタイトルは、大橋さんの子供の名前の候補というエピソードもありつつ、その実これからのふたりの人生に対する主人公の向き合い方、生き方そのものを表しているのです。

 

最後に





国民的なヒットとなったスキマスイッチの代表曲。大橋さんの優しくも力強い歌声、完成度の高い楽曲構成もありますが、それだけではここまでの大ヒットにはならなかったと思います。この曲の伝えている大切なメッセージがリスナーに伝わっているからこそ、これだけ支持され愛される曲となったのではないでしょうか。

主人公が選んだ依存の愛から自立への愛。遠くの『君』を想い続けこれからもつながっていけると信じながら生きる人生。これらは決して簡単なものではなく、おそらくこの勇気を持ち続けられる人は多くはないでしょう。なぜなら、この選択による未来はその毎日が試練となっていくからです。

ただ、これを単なるきれいごとと捉えたり自分には関係ないものと目を伏せようとすると、どこかしこりが残り心にモヤがかかるような気分になるのも確かです。それはこの「毎日が試練である」に一定の真理があり、この主人公のように誰の人生もまた毎日が試練であると心の中ではわかっているからではないでしょうか。そしてその試練から自分が目を背けているように感じてしまうのです。


この曲から伝わるのは、自分の人生を有益でより良いものにするためには日々直面する問題から逃げたり目を背けてはいけないということ。この主人公が離れ離れになる『君』とこれからもつながっていくために自分なりの答えを出せたのも、そして「どこに行ったって僕の声で守る」と誓えたのも、まさしく目の前の現実としっかり向き合い乗り越えた結果です。

苦悩や挫折がその問題の中から生まれるのであれば、幸せやより良い未来もまたその問題の中から生まれます。この奏(かなで)という曲が教えてくれる大切なメッセージをしっかり受け止めて、明日からの1日1日を大切に過ごしていけることを願っています。

最後までお読みいただき、ありがとうございました!


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