こんにちは。
シンガーソングライターの福島亮介です。

 

過去の辛い記憶に縛られて立ち止まってしまうこと。ここぞというときに過去の出来事に脅かされ勇気を持てないこと。直面する問題から逃げ出すために過去を言い訳や正当化として使ってしまうこと。そして過去から強く誤った劣等感を感じてしまうこと。

過去が人生に及ぼす影響はとても大きく、こういった経験がある人も多いのではないでしょうか。それはすべて、「過去は変えられない」という常識が大前提としてあるからです。その大前提がある限り、過去と向き合いぶつかるときはいつもこちらが支配される側になり打ち勝つことができません。

過去に従い過去に惑わされ過去に怯え、そこから生まれる幸せは何もありません。それどころかこれからの人生にある幸せさえも気付けず見過ごしてしまう要因となります。

どんな過去も決して重荷や足かせなどではなく、これからの人生で追及されていく理想への下地でありきっかけであり勇気の素でなくてはいけません。今回は、過去をそんな自分の支えと変えていくための方法について考えていきたいと思います。

 

 

 

「過去は変えられない」という嘘





過去の力は強力で、しばしば人を立ち止まらせたり悩ませたりします。そして誰もが、「過去は変えられない」という当然と常識の中で大人になります。

ですが、果たしてそうでしょうか。もしそうだとすれば、悲しい過去を持っている人はその悲しみを、悔しい過去を持っている人はその悔しさを一生抱えて人生を歩むことになります。過去に起こった事実は変えることができないかもしれませんが、その事実に対する意味は変えていくことができます。そしてそれこそがこの先自分の記憶に残る本当の過去の姿になります。

過去の客観的な事実だけにとらわれて、これからの可能性や気付くべき幸せを見逃すようなことは避けなくてはいけません。もし今起こっている問題の原因が過去にあると考えてしまうようであれば、それは「過去のせいにして自分の意志で歩みを止めている」という自覚を促す合図かもしれません。

 

事実自体に意味はない




客観的な出来事はただの時間の経過



どんな出来事であってもそれ自体は意味を持っておらず、それはあくまで過ぎてきた時間の中にあるただの客観的な事実です。

どんな人でも今まで辛い経験、人には話したくないような暗い経験をしてきています。例えば昔いじめられたことがあったり、大切な人を失ったり、病気やけがに苦しんだり。でもそういった事実は自分がそのことをどう捉えるかという意識が働いたときに、初めて記憶となり人生の過去としての意味が生まれます。

僕は中学二年生の頃に父親を亡くしました。客観的な「父親の死」という事実はただの出来事でありそれ自体には何も意味はありません。その事実に対して僕が何を感じて今の人生にどう反映されているのか、それをもって初めて僕の中で「父親の死」という事実に意味が生まれます。


 

意味付けにより「必要なもの」として認識される



捉え方によっては、その意味は自分を成長させるものにも苦しめるものにもなりますが、どんな形であれ意味を与えられて初めてその事実が自分の人生に「必要なもの」として認識されます。それは自分を前に進めるために「必要なもの」かもしれないし、人や社会を憎むために「必要なもの」かもしれません。それが記憶となり、必要に応じて、言い換えれば都合良く引っ張り出されたり閉じこめられたりします。

そのときこれからの成長に「必要なもの」と認識されていればその過去に感謝をしたり大切にしたいと感じるし、困難や挫折を与えるために「必要なもの」と認識されていればそれは消し去りたいと思う辛い過去に変わります。

繰り返しますが、その事実自体には意味はありません。自分がそれをどう捉えているかが全てで、それによりその善悪や有益無益などとは関係なく今後の思考や行動の材料として人生に居座るようになります。

 

自分が変われば過去も変わる





人は例外なく主観的に物事を見ています。どんな人であれひとつの物事を判断するときは必ずそのときの自分の価値観や常識、善悪に頼っています。この主観は育った環境や文化、今まで見聞きしたものや触れたもの、そこから感じ取ったもの、またはそのときの体調や状況などでも変化します。

例えば明かりのない部屋を、落ち着くと答える人もいれば怖いと答える人もいます。同じ20度の気温でも、冬から春にかけて、夏から秋にかけてなどの印象の違いで暖かい、涼しいと感じる人もいるでしょう。真面目な顔をしている人を見れば、ある人には怒っているように見えある人には悩んでいるように見えるかもしれません。

こういった主観は、自分自身の中でも新しい知識や経験を得たり価値観が変わったりすることで日々変化していきます。

2つほど事例を考えてみます。


ケース1:厳しく育てられた子供



とても厳しく育てられた子供がいたとします。周りの友達は自分より多くの物や自由を与えられて、いつも楽しそうにしています。友達同士の流行の話題にも入れず、いつも自分だけ早く帰って勉強や家の手伝いなどをしなくてはいけない。当然周りの友達への羨望や両親への反感が生まれます。

その子はいつも思っていました。「早く自立をしてこんな家から出ていきたい」。そしてとうとう、高校卒業と同時に逃げるように家を飛び出してひとりで生活を始めました。

これがこの子の過去にあった事実です。そしてこの事実には当時の主観から「親の厳しい躾のせいで楽しい子供時代を過ごせなった」という意味が付けられ、自分の過去を嫌うために「必要なもの」として記憶されます。

そして大人になったあるとき、尊敬する上司や先輩から言われます。「君は人一倍自立心が強く忍耐力もある。そしていつも人のために動いている」。早くから自活をしなければ自立心は育たなかったかもしれない、厳しい躾がなければ忍耐力も芽生えなかったかもしれない。そしてあの頃の友達のように十分な物や自由が当たり前に与えられていたら、自制心のない支配的な大人になり人のための行動はできなかったかもしれない。

このとき、大人になったその子は思います。「親の厳しい躾のおかげで今立派な大人として社会に貢献することができている」。今度は別の主観によって自分の成長に「必要なもの」として新たな意味が付けられ、その過去は大きく変わったのです。


ケース2:父親の死



別の例で言えば、先ほどの父親の話もそうです。早くに父親がいなくなり「大人の男性」と接する時間が少なかったせいか、僕は父親と同じくらいの世代の男性に苦手意識を持っているような気がします。また大人になった今、大人同士として父とお酒を飲んだり会話をしたりということもできません。

もし僕がこういったマイナスの主観で捉え続けていれば、「父親の死」という記憶はきっと暗く忘れたいものになっていたでしょう。ただこの事実から、女手一つで育ててくれた母の強さや大切さを覚え、普通に生きることの難しさを知り、逆境を乗り越えることで得られる自信が身に付きました。

「父親の死」という事実にこのようなプラスの意味をたくさん与えることができれば、きっと父を喜ばせ安心させられるような大切な過去に変わっていくと思います。


これらは「過去は変えられる」ということの理由や証拠です。そもそも過去に起きた事実というのはとても曖昧で不明確で、都合よく捏造されたり忘れ去られたりとその真実はもはや確かめようのないものです。昨日食べた食事も思い出せなければ、なぜ自分が今の仕事や生活をしているかという理由を説明出来る人もいないのです。

ただひとつ言い切れることは、いつでも過去を変える主導権は今の自分が握っていて、今の自分が与える意味によって過去は毒にも薬にもなるということです。

 

今この一瞬を大切に生きる




過去を変える唯一の方法



悲しい過去を持っている人も、悔しい過去を持っている人も、その悲しみや悔しさが一生続くなんてことはありえません。なぜならそこから生まれる劣等感や虚無感に耐え続けられるほど人間は強くなく、それを補うように無意識のうちに自分が変わっていくからです。

今の自分が常に正しい目的に向かい建設的な生き方をしていれば、その過去が今の自分に伝える意味も同じように変わってきます。悲しみは人の痛みに気付き思いやれる優しさになり、悔しさは争うことの愚かさを伝えるかもしれません。

目的といっても、仕事の達成や憧れの人との結婚というような社会的に目立ったものだけではなく、「人の目を気にしてしまう癖を治したい」「規則正しい生活を送りたい」というようなもっと個人的なものも含みます。

どんなに淡々とした日々を送っていると思っていても、そこには必ず何かしらの目的があります。その目的の見直しが必要な場合はあるかもしれないですが、どんなものであれ何も目的を持たずに生きている人はいません。その正しい目的とそこへ向かう建設的な毎日のみが、過去を大切なものに変えていく唯一の方法です。


 

建設的に生きるとは



それではここで少し、「建設的に生きる」ということについて考えてみます。曖昧な表現に聞こえるかもしれないですが、言い換えればそれは「今この一瞬を大切に生きる」ということ、そしてそれを積み重ねていくということです。

なぜなら、人は今この一瞬の積み重ねでしか過去も未来も作ることができないからです。先ほども書いたように、どれだけ未来設計を立ててもなぜ自分が今の生活をしているのかその説明をできる人はいません。予期せぬ出来事や自分でコントロールできない事態が連続して、今この一瞬が積み重なった結果が今の生活であり今の自分です。

過去にしても同じく、今この一瞬をどう生きるかによってその意味が大きく変わります。今この一瞬を大切に思える人は、そう思える自分を作った過去までも大切なものと捉えることができます。そうでない人は、過去に原因や言い訳を探そうとしたり、更には惰性や臆病さを正当化する理由として過去を持ち出したりします。

建設的な毎日を過ごす。今この一瞬を大切に生きる。これらは意味することや行き着くところは変わりません。あらためてはっきり書いておきたいのは、過去を支えと変える唯一の方法は建設的な毎日を過ごすこと、つまり「今この一瞬を大切に生きる」ことのみということです。

 

実感できるのは「気付いたら」



これまでお伝えしたことの補足ですが、過去にどんなことがあったかなんてこれからの人生には関係ありません。今の問題に対して過去に答えを求めようとしても、原因の解説はできるかもしれないですが、決してそこから解決にはつながりません。

昔いじめられっこだった子供がプロボクサーとして活躍したり、小さい頃に家族の死を体験した子供が名医となり大成するという話もよくあります。これらは過去に正しい意味を与えて、今この一瞬を大切に生き続けた結果が成した偉業です。

彼らの頭には、常に過去がまとわりついていたでしょうか。「過去を変える為に今を頑張る」という意識があったでしょうか。そうではありません。ただひたすら目の前の対戦相手や患者と向き合い、できる努力を今この一瞬一瞬に注いできたのです。そして成長や成果と共に、今まで暗く蔑んでいてた過去が「そのおかげで」と言える大切な過去に変わったのです。

過去を変えるために今を大切に生きるのではなくて、今を大切に生きるから過去が変わっていきます。過去の変化は常に自分の成長と共にあり、その瞬間を実感できるのはいつも「気付いたら」です。

 

周りの変化ではなく自分の変化





それでは最後に、「今この一瞬を大切に生きる」ためにはどうすればよいか、その最初の一歩について考えていきます。先に結論を言うと、それは周りの変化に期待するのではなく自分の変化に目を向けることです。

今この一瞬を大切に生き続けるためには、たくさんの要素が必要です。

  • ・自分の考えを正しいと思える判断力
    ・人を敵視せず仲間と思うことができるゆとり
    ・直面する問題としっかり向き合うための勇気
    ・他人との違いや劣等感などを前向きに当然として捉えられる自己受容
    ・承認欲求を抑え自分を認めるための自信
    ・誘惑や惰性に惑わされないための信念


これらのことは、周りの変化に期待する毎日からは決して生まれません。自分が変わるという決意と本当の意味での自立を目指すことで得られるものばかりです。


 


例えば常に劣等感を抱えて自分を卑下してしまう場合。周りの変化に期待し続けていると、その内劣等感を悪用し無気力や弱さ、悲劇のヒロインのふりをアピールすることで注目を得ようとするかもしれません。それどころか好転しない状況を周りのせいにして、周囲の人を敵視したり世界は自分を必要としていないという誤った一般化に繋がってしまうかもしれません。

これでは今を大切に生きることなど到底できません。劣等感は、「自分はもうこれ以上成長することはない」と感じている人以外は全員が持っているものです。そして上昇志向でいる人ほど、それは慢性的に向き合い続けるものです。

ここでもし周りではなく自分の変化に注目することができれば、その劣等感は「自分の成長に必要なもの」という本来の姿を取り戻し、自分の人生に正しく還元されます。


例えばもし友達や同僚など特定の他者に対する劣等感なのであれば、ただ相手を羨んだり妬むのではなく秘訣を聞いたりアドバイスをお願いしてみたり。それが理想の自分に対する劣等感なのであれば、努力の量やその方向を再確認したり、気持ちを強く持ち続けるための方法を模索してみたり。

自分が変わるという決意と、こういった目的に向かう小さな積み重ねが、先ほど書いたような「今この一瞬を大切に生きる」ために必要な要素を生み出していきます。そして建設的な毎日を作り、更にその継続はこれまで暗く閉ざされていた過去をこれからの人生の支えとなる必要な過去へと変えいきます。

今この一瞬を大切に生き続けることで変わっていく過去、そしてその過去が今この一瞬を大切に生きるための支えとなります。過去は変えられないという常識にとらわれずこのプラスの循環を信じて今を生き続けることができれば、これまで以上に人生に芽生える幸せに気付けます。そして複雑無形に感じられる世界がもっとシンプルに映り、心豊かな毎日に変わっていきます。


  

 

最後に





ときに重荷となり呪縛にもなり、これからの人生に大きく影響する過去。過去に起きた事実だけにとらわれていては、本来気付けるべき幸せから遠ざかってしまうばかりです。過去に正しい意味を与えることで、それは支えとなり自分の大きな武器となります。

なぜなら、過去に起きた出来事はただの時間の経過でありそれ自体に意味はないからです。自分がその体験にどんな意味を与えるかによって、本当の意味での過去として認識されます。

その証拠として、同じ過去に起きた事実でも自分の成長や価値観・世界観の変化でその意味が変わってきます。同じひとつの事実に、そこに惨めさや悲しみを感じていれば今の自分の勇気をくじき、感謝や喜びを感じられればそれは支えになります。


そして過去に正しい意味を与える、つまり過去を正しく変えていくための唯一の方法は「今この一瞬を大切に生きる」ことのみ。正しい目的とそこに向かう建設的な毎日によって、その積み重ねは未来だけでなく必ず過去も変えていきます。

そのために必要なことは周りの変化ではなくまず自分の変化に目を向けることです。依存、承認欲求、支配欲、見栄や虚栄心など、そういった本当の自分を隠し閉じ込める弱さから脱却できる本当の自立を目指すことです。

自分が変わるという決意と目的に向かう信念。それらを強く保って、今この一瞬を大切に生きられること。そしてその結果過去をこれからの自分の支えと変えていけることを願っています。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

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