こんにちは。
シンガーソングライターの福島亮介です。


今回の曲は、中島みゆきさんの「糸」
結婚を祝して作られた曲のようですが、しっかり読み進めていくと、この曲のメッセージは結婚や恋愛にとどまらず社会に生きるすべての人に伝わるべき内容であることがわかります。

なぜ人は誰かとめぐり逢うのか、なぜ人は生きてゆくのか、そして幸せ(仕合わせ)とは何なのか。曲中で投げかけられる問いや疑問について答えを考えながら内容を深掘りしていきます。

哲学的な内容であり、聴く人の物の見方や考え方がとても大切になってくる1曲。ぜひ一緒に考えていけたらと思います。それでは今回もじっくり見ていきましょう。

 

 

 

楽曲情報


■中島みゆき「糸」 
35th Single
両A面 命の別名
発売日 1998年2月4日
収録アルバム EAST ASIA
作詞 中島みゆき
作曲 中島みゆき
編曲 中島みゆき、瀬尾一三




 

歌詞解釈




【Aメロ~Bメロ】ふたつの物語からひとつの物語へ






なぜ めぐり逢うのかを
私たちは なにも知らない
いつ めぐり逢うのかを
私たちは いつも知らない

どこにいたの 生きてきたの
遠い空の下 ふたつの物語

出典:https://www.utamap.com/showkasi.php?surl=B24904

>なぜ めぐり逢うのかを
>私たちは なにも知らない
>いつ めぐり逢うのかを
>私たちは いつも知らない
なぜ人はめぐり逢うのか、いつ誰とめぐり逢うのか。人間は「誰かとめぐり逢う」その理由も意味も知らないまま毎日を過ごしている。そんな哲学的な投げかけからの始まり。

まず、「めぐり逢う」とはただ出会うだけではなくそれまでに長い時間をかけてやっと出会えること、求めていたものにようやく出会えることを表します。

自分の人生を思い返してみて、今大切に思う人たちとどうしてめぐり逢うことができたのか、詳細にその説明ができる人はいないでしょう。それではどうして人間は「なぜめぐり逢うのか」「いつめぐり逢うのか」を知らないまま毎日を過ごしているのか、そしてそれをあらためて考えることもしないのでしょうか。


それは、その出会いを「めぐり逢い」と思えるためにはその始まりから一定の期間が必要で、その人との時間・経験・感情など多くの共有を経てようやく実感できるものだからです。時間をかけてその人との関係を築く、そして自分にとってかけがえのない人になる。そのときようやくその出会いが自分にとっての「めぐり逢い」であったと思えるのです。

このとき重要なのは、それは「運命」でも「奇跡」でもなくそのときの自分が自らの意志で決めているということ。出会いのきっかけは、たまたま一緒になったクラスメイトかもしれません、たまたま隣の席になった同僚かもしれません。

でも、それを数ある中のただひとつの出会いとするのかずっと探し求めていた「めぐり逢い」のように感じるのか、それはその人との時間を経て大切な関係を築いたとき、そのときの自分が決めていることです。


その出会いを「運命」や「奇跡」によって与えられていると考える以上、「なぜめぐり逢うのか」という疑問はずっと疑問のままでしょう。ただその出会いを自分の意志や行動によって「めぐり逢い」であったと決めている、つまり自分がその出会いに意味を与えていると考えることで、この疑問のとらえかたが大きく変わると思います。

この始まりは、「なぜめぐり逢うのかを知らない」「いつめぐり逢うのかを知らない」という一見関知できない運命的な部分を見ているようにも思えます。ただその裏には、人間は必ず大切な人とめぐり逢うことができる、なぜならそれはすべて自分次第だから。そんな人間の強さと可能性を信じる気持ちが表れているようにも感じます。


>どこにいたの 生きてきたの
>遠い空の下 ふたつの物語
遠い空の下にあるふたつの物語、それは『あなた』と出会う前のふたりの人生。「今までどこでどんな風に生きてきたの?」そう主人公が『あなた』に問うような歌詞ですが、この裏には『あなた』に出会えた今の喜びが隠れています。

主人公は"私の知らない生き方をしていた頃の『あなた』"について尋ねていますが、本当に知りたいのはそこではありません。本当は、"その頃の自分を話す目の前の『あなた』"のことを知りたいと思っています。つまり、過去の『あなた』ではなくその過去を踏まえた現在の『あなた』、想像するしかできない『あなた』ではなく共に現実を生きる『あなた』を知りたいと思っているのです。


自分が知らないところでどんな風に生きてきたのか、その事実は大きな問題ではなく、その頃の自分を今の『あなた』がどう感じていてどう話すのかを知りたい。それがこの問いの本質ではないかと思います。

その気持ちは、間違いなく『あなた』と出会えた喜びから芽生えたものでしょう。遠い空の下でそれぞれ歩んでいたふたつの物語が、今大きなひとつの物語へと編集されていく。ふたつでひとつ、ふたりでひとりとなるその喜びが今の『あなた』を知りたいという欲求へつながっているのです。


【サビ】幸せと人生の形






縦の糸はあなた 横の糸は私
織りなす布は いつか誰かを
暖めうるかもしれない

出典:https://www.utamap.com/showkasi.php?surl=B24904

>縦の糸はあなた 横の糸は私
>織りなす布は いつか誰かを
>暖めうるかもしれない
とてもドラマチックで人生の輪郭を想像できるような、その絵が浮かぶようなサビです。いつかは必ずぶつかる縦と横の糸、そして最初の出会いから、お互いの好き嫌いや得手不得手を知り、意外な一面を見て見直したり落胆したり。

そして恋愛の時期を経て、プロポーズから結婚、マイホームに出産、子どもの独立から定年まで象徴的な出来事を共に過ごしていく。そのたびにお互いの糸は何度も何度も重なり合い、大きな「織りなす布」となっていきます。

ここで注目したいところは、主人公がその布を「いつか誰かを暖めうるかもしれないもの」と感じているところ。誰かを暖める、それは言い換えれば誰かを幸せにするということ。


幸せを知らない人、不幸の中にいる人が誰かを幸せにすることは絶対にできません。それは、その人にとっての目的が「誰かを幸せにすること」ではなく「誰かを幸せにしようとすることで不幸な自分を救おうとすること」になってしまうからです。

裕福ではない人が金品を分け与えられないように、心豊かに幸せを実感できていない人がいくら周りを幸せにしたいと願っても、幸せの貧しさはすぐに察知され相手も「暖められている」と感じることはないでしょう。

ですが自分の中の幸せを理解し幸せの中で生きている人は、誰かを幸せにしようとか救おうと考えずとも、自然と周りの人に幸せを分け与えています。なぜなら幸せの豊かさも自然と察知され伝わっていくからです。

笑顔の人の周りに人が集まる、協力的な人に感謝をしたくなる、相手を思いやれる人に悩みを打ち明けようとする。これらもすべて幸せの豊かさを察知した結果ではないでしょうか。


主人公はこれから紡がれていく大きな布を想像して、いつか誰かを暖めるかもしれないと感じています。つまり、ふたりでつくり上げていくこれからの人生は幸せに満ち溢れ、その幸せに触れた人をも暖めることができるかもしれないと感じているのです。

『あなた』と私で織りなす幸せの布。まずはそこに揺るがないふたりの幸せがあり、日に日に広がるその布はやがて自分たちの周りの人をも幸せにする。『あなた』との人生をそんな希望の風景越しに眺めているような温かい印象を受けます。

【Aメロ2~Bメロ2】何かを与えてもらうか、与えるか 






なぜ 生きてゆくのかを
迷った日の跡の ささくれ
夢追いかけ走って
ころんだ日の跡の ささくれ

こんな糸が なんになるの
心許なくて ふるえてた風の中

出典:https://www.utamap.com/showkasi.php?surl=B24904

>なぜ 生きてゆくのかを
>迷った日の跡の ささくれ
>夢追いかけ走って
>ころんだ日の跡の ささくれ
「なぜ生きてゆくのかを迷った日」、「夢追いかけ走ってころんだ日」。これらの跡に残る心のささくれが、その痛みや違和感をもって主人公を悩ませます。

生きていく意味について迷う、その夢までの遠さや現在とのギャップにくじけそうになる。これらに共通していえることは、主人公が今の自分を信じることができず受け入れることもできていないということ。

生きていく意味について迷ったときも、夢に破れそうになったときも、一時的・対処療法的ではなくそれを本当の意味で乗り越えるための方法はひとつしかありません。それは自分の価値を自分で認めていくことです。


自分の価値を他人からの評価や称賛によって実感しようとするから、期待通りの承認が得られないと苦しい。だから、多くの人は社会や他人に認めてもらえるように努力をします。自分の成長のためにではなく、その組織や他人の要望を満たすという形で。

ですが、他人から得る評価の基準は曖昧で確実なものでもなく、また自分の意志で調節のできるものでもありません。

自分では努力して認められることをしたと思っても、その通りの評価が得られない。他人からの評価や称賛によって自分の価値を実感しようとしている以上、この蓄積は必ず自分の価値を見失うことにつながります。本当は誰に何を言われようと言われまいと絶対的な価値があるにも関わらず。


そしてその先にあるのは生きていく意味についての迷いや「こんな自分が夢や理想に届くはずがない」という夢と現実のギャップによる苦悩。いわば心のささくれです。そうならないためには、まずは今の自分を受け入れて自分の価値を人に委ねず自分で認めていくしかありません。

日頃の努力や向上心を、「誰かに認めてもらうため」ではなく「今の自分より一歩成長するため」へと方向転換していくしかありません。

続く歌詞でも、『あなた』との世界すら信じられなくなるほどの主人公の心の不安定さが歌われています。


>こんな糸が なんになるの
>心許なくて ふるえてた風の中
「いつか誰かを暖めうるかもしれない」、そう感じていた『あなた』と織りなす布。ここではそれを紡いできたふたりの時間すらも否定してしまいそうになっている主人公の姿が描かれています。この2番A~Bメロは、長い人生で何度も起こる主人公の低迷期が表されている場面。

生きていく理由がわからない、夢にも届かない、大切な人との時間に意味を持つこともできない。自分の人生と向き合い真剣に生きている人ほど、こういった壁にぶつかることはあると思います。そして心許なく不安にさらされ、まるで自分の居場所がどこにもないような孤独感にすら襲われる。

でも、これはちょっとしたきっかけで誰にでも起こりえる問題ともいえると思います。なぜなら、これらはすべて「何かを与えてもらうこと」によって幸せを感じようとしているからです。


「何かを与えてもらうこと」「誰かに与えてもらうこと」。ここから幸せや人生の意味などを見出そうとすると、そこには必ず劣等感が生まれ承認欲求が生まれ周囲との比較なども生まれます。その価値が自分だけの絶対的なものではなく、同じ社会を生きる他人との相対的なものになるからです。

自分で自分を認め続けること、その価値が絶対的なものであると信じ続けること。その難しさから多くの人はどうしても「(周りと比べて)何をどれだけ与えてもらえるか」から自分の価値を実感しようとし、それを幸せの判断基準としてしまいます。

そしてその「何かを与えてもらうこと」が思うように得られないと、まるで裏切られたような感覚を覚えたり、相手や周りを批判するという行動にも発展します。
「これだけやったのだから称賛されるべきだ」
「あなたのためにやったのだから感謝すべきだ」
「他の人にはできないことをやったのだから認められるべきだ」
というように。


ただここで少し考え方を変えて、「何を与えられるか」「誰に与えられるか」から幸せや人生の意味を見出そうとするとどうでしょうか。自分が何かの役に立っている、誰かの助けとなっている、その感覚は必ず自分の価値へとつながります。

実際に誰かの助けとなっているかという事実は、確かめようがありません。たとえ相手がうなずいてくれても、その本心までは知ることができません。でもその誰かの助けとなっているという"感覚"は必ず自分の中に残りその積み重ねが自分の居場所や人生の意味にまでつながっていきます。

そして一番大切なのは、1番Aメロでの「めぐり逢い」のときのようにこれもまたすべて自分の意思次第ということ。他人からの評価を求める必要もなく、運命や奇跡などを待つ必要もありません。すべて自分の意志で実行も継続もできることです。幸せの判断基準はすべて自分が調節できることになります。


何かを与えてもらうことばかりを待って、思い通りにいかなければ憤慨し裏切られたと感じ、理不尽な怒りや不要な悩みを抱える。これは不自由で不健全で、幸せとは程遠い姿勢です。でももし何かを与えることに幸せを感じられるのであれば、その人は何に縛られることもなく自由に幸せへの道を歩めるのではないかと思います。

次のサビでは、主人公にそんな心境の変化が起きている様子を見ることができます。


【サビ2~サビ3】「わたしたち」の幸せ






縦の糸はあなた 横の糸は私
織りなす布は いつか誰かの
傷をかばうかもしれない

縦の糸はあなた 横の糸は私
逢うべき糸に 出逢えることを
人は 仕合わせと呼びます

出典:https://www.utamap.com/showkasi.php?surl=B24904

>縦の糸はあなた 横の糸は私
>織りなす布は いつか誰かの
>傷をかばうかもしれない
「こんな糸が なんになるの」とその意味を見失っていた主人公が、「いつか誰かの傷をかばうかもしれない」と思えるようになった理由。これはまさに、与えてもらうことではなく与えることによって幸せを実感できるようになった表れではないでしょうか。

ここで言う「傷」とは、前回主人公が感じていたような心のささくれであり、人生における苦悩や挫折の総称。

「誰かの傷をかばうかもしれない」。そう思えるのは、同じように自分の傷が癒された実感が持てているからです。その傷を癒してくれたのは『あなた』と織りなす布、つまり『あなた』との時間であり、共につくっている人生。


その時間の中で『あなた』に愛や尊敬や感謝を伝える、つまり『あなた』に何かを与えることで絶対的な自分の価値を見出し自分の幸せを実感する。これが"傷"に対する唯一の薬だったのです。

そしてその実感をもって、いつか目の前の人、隣の人、偶然通り過ぎた人、誰かの傷を同じようにかばうかもしれない。そう思えるまでに、『あなた』とのめぐり逢えたことや人生に意味を取り戻すことができたのです。

>縦の糸はあなた 横の糸は私
>逢うべき糸に 出逢えることを
>人は 仕合わせと呼びます
ここで誰もが注目するのが「幸せ」ではなく「仕合わせ」という歌詞。「仕合わせ」には一般的な幸福の他に、運命的なめぐりあわせ、主に人との出会いから生まれる幸福を表す意味があるようです。

まさにこの曲のテーマにふさわしい一言ですよね。「逢うべき糸に 出逢えること」、主人公はこれこそが仕合わせであると言っています。ここには、これまで見てきた内容がすべて凝縮されています。


逢うべき人との出逢いを「運命」や「奇跡」として片づけるのではなく、時間をかけて多くのものを共有し自分の意志で「めぐり逢い」へと育てていくこと。そしてその糸は、ふたりの価値観や感覚が交差する度、そして問題や出来事と直面し乗り越える度に「織りなす布」へと形を変えていく。つまりふたりの人生がひとつの大きな人生へと変わっていくということ。

更には、その大きな布がいつか誰かを暖め傷をかばい、それは根底にふたりの揺るがない幸せがあるからこそできることであると実感する。初めはとても細いふたりそれぞれの糸が「わたしたち」という大きな布になり、それは周りの人すらも察知し癒されるほど巨大で確かなものへと成長していくということ。

この「逢うべき糸に出逢えることを人は仕合わせと呼びます」という歌詞には、ただその「出逢い」だけではなく、その出逢いから生まれる「わたしたちの幸せ」までを含む意味が込められています。

最後にこの「仕合わせ」という歌詞を見ることで、主人公がひとつの答えにたどり着いたこと、そしてこれまで抱えていた疑問や苦悩が希望や喜びへと変わっていくような印象もあり、温かい気持ちで聴き終えることができますね。 


 

最後に





今回は、この曲が問いかける疑問や悩みについて考え、答えを探すような形で読み進めてきました。真剣に毎日を生きる人であれば、誰もがこの主人公と同じように自分を見失い人生を見失い、誰かと出逢うその価値もわからなくなるときがあります。

どうして「逢うべき糸に出逢えることを人は仕合わせと呼びます」と言えるのか。それは人間の苦悩が人との間に生まれるのと同じように、人間の幸せや喜びもまた人との間からしか生まれないからです。

人間関係と聞くと、煩わしさや面倒くささばかりが目立って目を伏せてしまいがちです。ただこの曲から伝わるのは、人間は人の間で生きていく存在であり、そこから目を背けることは幸せ(仕合わせ)を自ら遠ざける行為であるということ。どんな些細な幸せも、必ずその核には「わたし」と「あなた」から始まった多くの人間関係があるということ。


この曲は結婚を祝して作られたようですが、この曲が伝えているメッセージは男女の恋愛に限った話ではありません。この曲は、人間関係に傷つき、疑い、悩みを抱えた社会で生きるすべての人に向けたメッセージソングです。

なぜめぐり逢うのか、なぜ生きてゆくのか。その問いは人間関係から生まれるものです。ただその答えもまた人間関係の中にしかありません。すでに出会った「縦の糸」、これから出会う「縦の人」。それがいつかかけがえのない「めぐり逢い」となり、大切な答えとなることを願っています。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

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