こんにちは。
シンガーソングライターの福島亮介です。


今回の曲はゆずの「雨のち晴レルヤ」。
ドラマ「ごちそうさん」の主題歌であり、紅白歌合戦でも披露された1曲。ドラマの舞台でもある大正~昭和の雰囲気があるMVも印象的ですよね。

「雨が降ってもその後にはいいことがあるよ」という応援歌のイメージがありますが、その表立った印象の中にたくさんの注目すべきメッセージが隠れています。主人公が向き合う予期せぬ出来事、「涙の河」が比喩するものやその行き着く先、「風に紛れてこの胸に届く」ものの正体。そして「雨のち晴レルヤ」が伝える幸せの循環。

曲の雰囲気と優しい言葉に浸るだけでなく、曲全体が伝えているメッセージを読み解くことで更にこの曲の素晴らしさがわかってきます。それでは、今回も歌詞に込められたメッセージを徹底解析していきたいと思います。

 

 

 

楽曲情報


■ゆず「雨のち晴レルヤ」 
39th Single
A面 雨のち晴レルヤ/守ってあげたい
B面 飛行機雲
発売日 2013年11月13日
収録アルバム 新世界
作詞 北川悠仁
作曲 北川悠仁・佐藤和哉
編曲 CHRYSANTHEMUM BRIDGE & ゆず
MV https://www.youtube.com/watch?v=9n3h2DAgeno





 

歌詞解釈




【Aメロ~Bメロ】辛み悲しみの意味を変える勇気






突然 偶然 それとも必然
始まりは気付かぬうちに
予報通り いかない模様
そんな時こそ 微笑みを

ポツリポツリと町の色 変わってゆけば
傘はなくとも雨空に 唄うよ

出典:http://j-lyric.net/artist/a000614/l02f126.html

「突然 偶然 それとも必然」「予報通り いかない模様」とリズムよく韻を踏む歌詞で耳に残る始まり。また天気予報のようなおもしろい言い回しという一面もありますね。

>突然 偶然 それとも必然
>始まりは気付かぬうちに
ここの歌詞で注目したいのは、「始まり」とは何の始まりを指しているのかということ。もう少し歌詞を見ていくと『君』に芽生える気持ち、または自分の心の変化のことを指しているようにも思えてきますが、次の歌詞をみるとこのAメロで完結されているようにも思えます。

>予報通り いかない模様
>そんな時こそ 微笑みを
「予報通り」は予想通り・思った通りなどと置き換えて、つまり人生に必ず起こる予期せぬ出来事、自分ではコントロールができない物事を示唆している場面。この予期せぬ出来事が「始まり」の対象とも考えられます。


そしてそんな予期せぬ辛い出来事が突然・偶然・必然に始まったとしても、そんなときこそ微笑みを忘れないようにしようと勇気付けられる歌詞が続きます。「苦しいときほど笑おう」というフレーズは日常でもよく耳にします。これは辛み悲しみの感情に蓋をして無理矢理明るく振舞おう、ということではありません。

それでは辛みや悲しみはしこりとして残り、その蓄積に耐え続けられるほど人間は強くもありません。これは、苦しいことや悲しいことと向き合いながら、その出来事にこれからの人生に有用な意味を与える努力をしようという意味です。

客観的に事実だけを見て、かわいそうな自分を作り酔う。そういった出来事による被支配ではなく、それが自分の人生や成長にどう生きてくるのか、あくまで自分がその出来事や感情を支配しながら今後の人生に必要となる前向きな意味を与えていこうということです。


そんな前向きな意味を踏まえて次の歌詞を見ると内容がスッと入ってきます。
>ポツリポツリと町の色 変わってゆけば
>傘はなくとも雨空に 唄うよ
「町の色変わってゆけば」。これはポツリポツリと少しずつ雨模様に変わっていくというそのままの風景とも取れますが、先ほどのAメロの意味を踏まえて別の見方もできそうです。

雨が降った場合、空模様は変わっても実際には町の色は変わりません。変わっていくのは主人公の心を通して映し出される景色であり、あくまで主人公が見ている主観的な世界、町の色の変化です。更にポツリポツリという表現から、それが急激にではなく徐々に変化していっていることが伝わってきます。

この変化の理由は、先ほども見た「そんな時こそ微笑みを」に込められた勇気。つまり、気付かぬうちに始まった予期せぬ辛い出来事、それにしっかり向き合い前向きな意味を与えていこうという姿勢によるものです。ここはきれいな情景描写でありながら、その比喩を紐解くと前向きに意識が変わっていく心理描写が隠れている場面でもあります。


そして続く歌詞で、「傘はなくとも雨空に 唄うよ」と晴れ晴れしい主人公の姿が見られます。本来傘は雨から身を守るものですが、今の主人公にその傘は必要ありません。なぜなら主人公にとって雨はただ体を濡らす敵ではなく、今では「雨空に唄う」という時間を作るために必要な景色であり味方となっているからです。

雨に対する意味すら一変させるほどの大きな勇気。次のサビはこの曲の核となる部分であり、その勇気を以て希望的なメッセージが伝えられています。


【サビ】「涙の河」の行き着くところ






どんな君でも アイシテイル
顔を上げてごらん 光が照らす
涙の河も 海へと帰る
誰の心も 雨のち晴レルヤ

出典:http://j-lyric.net/artist/a000614/l02f126.html

>どんな君でも アイシテイル
>顔を上げてごらん 光が照らす
カタカナ表記の「アイシテイル」。カタカナで書かれる場合、機械的で無機質な雰囲気や、対象の情報が少なく不明確のような印象も受けます。そこからまず主人公には、愛や人を愛するという真理に対する自信のなさがあったのかもしれません。でも同時にそこには『君』を想う確かな気持ちもあります。

つまり、言葉で説明ができなくても、その真理などわからなくても、自分の信念に従ってこの気持ちを『君』に伝えたい。この「アイシテイル」にはそんな主人公の真っすぐで偽れない純粋な心情が表されているのではないでしょうか。


続いて主人公は「顔をあげてごらん 光が照らす」と伝えますが、ここはBメロで見た主人公の気付きからの発展として見ることができます。「傘はなくとも雨空に 唄うよ」、このとき主人公は雨空から照らされる光を確かに感じていたでしょう。

いつか照らしてくれるだろう光を待つのではなく、自分から顔を上げて光を感じることで、今までも照らし続けていた光をただ感じようとしていなかった自分に気付く。「顔をあげてごらん 光が照らす」という歌詞には、自分の体験から得た確かな気付きを今度は『君』に伝えているような、同じ幸せの共有を望むような温かさがあります。

また「どんな君でも アイシテイル」という想いが前提にあることで、たとえ今『君』が光を見ようとせず顔を伏せたままであっても、そんな『君』を尊重し愛し続けること、そして『君』との未来を疑わないという覚悟も伝わってきます。

続く歌詞でも、更に『君』をシンプルで正しい今へと導こうとする主人公の姿勢が見られます。
>涙の河も 海へと帰る
>誰の心も 雨のち晴レルヤ
いくつもの河が流れ、どの河であってもその行き着くところは広大な海。そしてここで比喩されている「涙の河」も、やがて広大などこかへと行き着きます。それは人生であり幸せでありその人だけが見ている世界です。


ひとつの涙の河にあるドラマ、そこから生まれる新たな感情や世界観。河が海へ帰りその一部となるように、これらもまたその人の人生や幸せの一部となっていきます。そして嬉し涙や悔し涙、悲しみの涙に怒りの涙。いくつもの河が流れては帰りまた流れては帰り、その繰り返しが「誰の心も 雨のち晴レルヤ」というサビを結ぶ歌詞に表されているのではないでしょうか。

主人公は『君』に、止まない雨はないということ、その繰り返しは誰にでもあることを伝えます。掘り下げると、それは人生の当然であり、涙によって芽生えた新たな感情や世界観はその建設的な解釈によって自立や成長・信念の形成・他人や社会との調和に還元されていく、ということを伝えているように思います。

これはすべて、『君』ができるだけ世界や人生を複雑無形なものではなくシンプルなものとして考えられるようになることへの願い。そして「雨のち晴レルヤ」をしっかり念頭においてシンプルで正しい今を過ごしてほしいという想いです。


【Cメロ】奇跡による価値観の矯正






大空に飛ばした靴 占った明日の行方
描いてた未来じゃないが
君がいるかけがえのない日々 それは奇跡

出典:http://j-lyric.net/artist/a000614/l02f126.html

>大空に飛ばした靴 占った明日の行方
>描いてた未来じゃないが
ここでは大きく2つに分けて主人公の誤った価値観が正されていく描写が読み取れます。それぞれ見ていきます。

  • 大空に飛ばした靴 占った明日の行方

空に飛ばした靴の距離や向きなどで明日の行方を占う。やってみたことがある人も多いですよね。ここからは、運を天に任せて運命にすがっている様子が読み取れます。

問題に直面したときや思い通りに事が進まないときに行う神頼みや運命にすがろうとする心理。これはつまり自分で課題と向き合い解決をする勇気や自信が持てておらず、その結果失敗しても「これも運命だったから仕方ない」と言い訳ができるように自分を騙しやすい幻想に逃げている状態です。


  • 描いてた未来じゃないが

続いて「描いてた未来」。それは小さい頃に描いたスポーツ選手や学者、芸術家などの夢かもしれないし、良い学校を出て大きな会社に就職してという通俗的な幸せをイメージした人生かもしれません。

「描いてた未来じゃないが」と少し残念さが見える表現ですが、ただこの言葉の内には、描いていた夢や未来は自分ではない誰かが歩む人生・幸せへの憧れであり羨望であり、自分は誰かの人生を歩むべきではないという気付きも含まれているように感じます。


まとめると、日々直面する課題と向き合い乗り越え、その結果振り返ったときに創られているのが運命であり、運命とは理想的な未来をただ楽天的に願うものではなく自分で築き上げていくもの。そして人は誰かの人生や幸せに向かうべきではなく、自分の人生と向き合い大切に生きていく必要がある。

主人公の誤った価値観が正され、自分の人生と向き合う勇気や覚悟を持てた瞬間が表されています。そしてその気付きの理由となったのが次の歌詞。

>君がいるかけがえのない日々 それは奇跡
『君』の存在や『君』と過ごす日々がこの誤った価値観を覆す大きな理由。「君がいるかけがえのない日々」、ここに主人公は自分だけの大切にすべき人生や幸せを見出し、そして『君』と共に過ごせる日々や人生と向き合える自分に変われたことなどを含むすべてを「奇跡」と表しています。

奇跡と思えるほどの日々や変化を『君』から与えられ、サビで見たように人生をシンプルに正しく過ごせるよう愛情を以て『君』に返していく。この2人にある絆や唯一無二の関係を見ることができます。


【Bメロ2】風に紛れて届く幸せ






ポツリポツリと呟いて 伝えてくれた
風に紛れてこの胸に 届くよ

出典:http://j-lyric.net/artist/a000614/l02f126.html

>ポツリポツリと呟いて 伝えてくれた
>風に紛れてこの胸に 届くよ
「ポツリポツリ」という擬音はAメロでは雨の滴る音と取れましたが、ここでは呟き声としてまた別の使い方がされています。それではこの呟きが伝えたこととは何でしょうか。それは「君がいるかけがえのない日々」であり、そこから生まれる幸せであり、先のCメロで見た奇跡と思える気付きです。

そして「風に紛れてこの胸に届く」という歌詞。この表現の素晴らしいところは、気付かない内に少しずつ変わっていく心の成長を比喩しているところ。そしてそれは自然と自分の中で芽生えたものではなく周りから与えられたものと主人公が認識しているという視点です。


主人公の誤った価値観の矯正や自分の人生と向き合う覚悟、そして『君』との日々に見出す人生の意味や幸せ。これらはあくまで主人公が自分の目で見て考え自分の意志で確立してきたものです。

ただ主人公はそれを教えてくれたのは人であり社会であり、自分が身を置く世界だと認識しています。今の自分を認められる勇気、そして周りへの信頼があってこその、「伝えてくれた」「風に紛れてこの胸に届く」という歌詞なのです。


【サビ2~サビ3】2人で待つ明るい未来の訪れ






何があっても そばにいるよ
君と待っていたい 昇る朝日を
さらば 手を振ろう 哀しみ達に
時は流れて 笑顔になれるよ

どんな君でも アイシテイル
顔を上げてごらん 光が照らす

何があっても そばにいるよ
君と待っていたい 昇る朝日を
涙の河も 海へと帰る
誰の心も 雨のち晴レルヤ
雨のち晴レルヤ

出典:http://j-lyric.net/artist/a000614/l02f126.html

>何があっても そばにいるよ
>君と待っていたい 昇る朝日を
「昇る朝日」とはそのままの意味でも取れますが、これは主人公が考える2人の明るい未来を指しているようにも思えます。そうすると、1番サビにある「顔を上げてごらん 光が照らす」という歌詞は主人公が見ている2人の未来を『君』にも感じてほしい、そしてその訪れを2人で待っていたいという意味として解釈できます。

そのために主人公が心に決めていることはただひとつ。「何があってもそばにいる」こと。1番サビでの「どんな君でもアイシテル」、そして今回の「何があってもそばにいるよ」。これらに共通しているのは主人公にとって『君』が絶対的な存在であることです。

それはCメロのこの歌詞に集約されています。
>君がいるかけがえのない日々 それは奇跡
かけがえのない日々をくれる『君』、奇跡を目で見えるほど実感させてくれる『君』。主人公にとって絶対的な存在であること、どんな『君』でも、何があっても想い続け尊重し愛し続けることの理由がここに詰まっています。


>さらば 手を振ろう 哀しみ達に
>時は流れて 笑顔になれるよ
続くこの歌詞は、何度か読んだり眺めたりしている内に読む順番の重要さに気付きました。

【パターン1】

  • さらば 手を振ろう 哀しみ達に
    "そうすれば"
    時は流れて 笑顔になれるよ

【パターン2】

  • 時は流れて 笑顔になれるよ
    "そのために"
    さらば 手を振ろう 哀しみ達に


同じ「笑顔になれる」でも、パターン1と2ではその心理や志向が変わってきます。哀しみ達=辛い過去という解釈が妥当かと思いますが、1では辛い過去に手を振り別れを告げることさえできればいつかは笑顔になれるという意味に取れます。


ただ、これではその過去はいつまでも人生に影を落とす「哀しみ達」のまま。どこか無理やり押し込めているような印象があります。もしくは忘れ去ることで過去とこれからの人生が結ばれず不毛な時間として処理されてしまっているようにも見えます。

続いてパターン2ではどうでしょうか。いつか時間が経って笑顔になれる。まずこの志向が前提にあり、その目的達成ために「辛い過去に手を振り別れを告げる」が手段として用いられます。ここで1との決定的な違いは、その過去に対する見方・捉え方です。

辛い過去を無理やり忘れようとする印象のある1に対して、2ではそれをこの先笑顔になるために必要なものへと変えていこう、ただの「哀しみ達」ではなくこれからの人生に必要な経験へと変えていこうという姿勢が見られます。それができたとき初めて、本当に「笑顔になれる」と伝えているのです。


そして1番、2番のサビがそれぞれ組み合わされ最後のサビを経てエンディングへ。「雨のち晴れ」と「ハレルヤ」による造語としてタイトルにもなっている「雨のち晴レルヤ」。雨のち晴れという未来的・希望的な印象の言葉と、神への賛美や喜びの意を持つ「ハレルヤ」との組み合わせはまさにこの曲のストーリーにぴったりです。

 

最後に





予期せぬ出来事と直面し、しっかり向き合い前向きな意味付けをする。そしてそこから得る成長や強さによって他の誰かを勇気付ける。すると今度は誰かと過ごす日々がかけがえのない奇跡に変わる。そしてその大切な毎日は、また起こる予期せぬ出来事に対して逃げずに向き合う勇気となる。

この曲が全体を通して伝えているのは、伸びる1本の線でなくこの環状のような繰り返し。最後に繰り返される「雨のち晴レルヤ」の歌詞とともに、この幸せの輪廻とも言える繰り返しが潜在意識に刷り込まれていくようなじんわりとした感覚を覚えました。

誰の人生にもあてはまる心強い応援歌であり、また迷いや挫折で視界がぼやけてしまったときに支えとなるメッセージソングでもあります。「雨のち晴レルヤ」、辛いときの口癖のように繰り返しながらシンプルに前向きな毎日を過ごしていきたいですね。

最後までお読みいただいて、ありがとうございました!

 

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